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2007年11月

28歳最後の日

 また、今年もこの日がやってきました。1年の内で、2番目に感傷的になる日。
 10年前、大学に通っていた頃、まさか自分が10年後も同じ大学に通っているとは思いませんでした。と言っても、別に留年し続けているわけではありません。一度、社会人としての生活を始め、その後、諸般の事情から、大学院へと復帰したわけです。

 明日の午前零時をもって、29歳の新しい1年が始まります。それはそれで、また、頑張ろう、という気にさせてくれる日ではあるんですが、一方で、この1年、自分は何をしてきたか、ということを振り返って、何となく暗い気持ちになるのも事実。刻一刻と迫る試験の日を前に、やらなきゃいけないことは山のようにあるはずなのですが、どうもそういう場面での頑張る力に欠ける自分がいるわけです。
 基本的には、一定のペースを守って物事を進める方が向いているんでしょうね。繁忙の差が大きいのは苦手です。かといって、物凄いペースを持続できるだけの精神力を持ち合わせてもおらず、結局、ダラダラと自分のペースで頑張るしかない、ということでしょう。

 明日から始まる29歳という1年が、自分自身のその後の人生を大きく左右するであろうことは、会社を辞めたときから十二分に解っていたはず。明日はたまたま授業のある日でもありますし、しっかりお勉強をしよう、と思います。
 これまでの28年間で、出会い、そして、別れてきた全ての人に感謝しつつ、新しい1年を目指そう、と思うのでした。

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『見えないドアと鶴の空』

 最近、お勉強をやる気が起きず、ダラダラと時間を溶かすのもどうかと
思い、いろいろな小説に手を出しています。ダラダラと無駄なことをする
よりは、少しは有意義かな、と思っています。
 元来が、適当な人間であり、限界まで頑張る、ということが苦手な自分。
そもそも、お勉強なんて、やる気がないときにすると、頭には入らない上、
苦痛以外の何物でもありません。そんなときは、精神のリフレッシュが必
要です。弱っている精神をリフレッシュする方法は、人それぞれですが、
自分の場合は、読書とこのブログの更新がそれに当たると思います。

 さてさて、タイトルの『見えないドアと鶴の空』は、再三、当ブログで
感想を書いている、白石一文氏の著作です。

見えないドアと鶴の空 (光文社文庫 し 30-3) Book 見えないドアと鶴の空 (光文社文庫 し 30-3)

著者:白石 一文
販売元:光文社
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 著者の作品は、現実世界が舞台のものばかり読んできました。この作品
も、舞台は現実世界であることは間違いがないと思います。が、この作品
は、少しSF的な要素が含まれています。別に、宇宙世紀00XX年とか
いうわけではありません(笑)。ただ、不思議な力を持つ女と、その女に
出逢ってしまった男の恋愛模様が、彼女の育った時間を男が追うという感
じで描かれており、そういう意味で、SF的と申し上げているのです。不
思議な力とは、一言で申し上げるならば、超能力のようなものですね。し
かし、この作品が、著者の他の作品とそんなに毛色が違うか、といえば、
答えは否です。著者独特の世界観が存分に表現されていると思います。人
間の生と死、出逢いと別れといった点に焦点を据え、その周囲の出来事を
描いている、という点では、むしろ他の作品と同じ系統に属する、という
ことが言えると思います。

 印象に強く残った箇所はたくさんあるのですが、ここで長々と引用する
ことにはいろいろと問題があると思いますので、本の帯に引用されている
部分から。
 「憎むのではなく、憎みあうのだ。愛するのではなく、愛し合うのだ。」
 この言葉が、なんだかずっしりと心に響きました。人は、1人では生き
てはいけない。であるならば、相手方を必要とする感情、例えば、憎むと
か、愛する、というのも、憎み合う、愛し合う、という形に行き着くので
はないか。他人を憎む気持ちを貫けば、相手からも憎しみが返ってくる。
他人を愛する気持ちを貫けば、相手からも愛が返ってくる。そうやって、
相互にお互いの個の感情が複雑な縺れ合い方をしながらも、最後には双方
向での1つの感情の束へと集約していくのではないか。そんなことを考え
ながら読んでいました。
 とかく個人主義が悪しき形で叫ばれることが多い昨今、こういう世界観
があってもいいのではないか、と大いに感じました。それは、悪しき全体
主義への回帰を望むものではなく、そこにあるがままの形で人間が生きる
ということを受け入れる、という、ただそれだけのことなのだ、という著
者の思いを強く感じました。

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月9の悲劇

 この秋、大ヒットとなっているドラマ。その原作を、彼女が貸してくれたので読んでみた。東野圭吾氏の「探偵ガリレオ」。分類としては、おそらくミステリーになるのだろう。

探偵ガリレオ (文春文庫) Book 探偵ガリレオ (文春文庫)

著者:東野 圭吾
販売元:文藝春秋
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 この本は、今までのミステリーとは少し赴きが違う。主人公が研究者、という点は、決して珍しいものではないが、これまでの名探偵(例えば、明智小五郎とか、金田一耕助とか、シャーロック・ホームズとか、エルキュール・ポアロとか。)が、犯罪の全体像を解き明かしていくのに対し、この物語の主人公・湯川学は、彼の興味を引いた点のみを解き明かしていく。例えば、殺人の動機とかいうものについては、ほとんど相方とでも言うべき刑事が解いていくのである。かといって、ミステリーではないのか、と問われれば、答えに窮することになる。ミステリーとして十分な種々の趣向が凝らされており、また、描かれているのは、まさに犯罪捜査活動の一場面なのである。冒頭、おそらくミステリーに分類される、と書いたのは、自分自身のこれまで考えていた「ミステリー」という小説のジャンルと少し毛色を異にするため、何となく言い切るのがはばかられたためである。
 全体的な印象としては、主要登場人物以外の細かい設定が、短編集ということもあって、ほとんど描かれていない分、読者は、より想像力をかきたてられる感じがする。また、短編集であるが故に、テンポよく読み進めることができるのもいいと思う。
 理系出身のこの著者独特のバックグラウンドを感じさせられる傑作だと思う。と言っても、小学生程度の理科の知識があれば、十分、楽しく読める仕上がりなのは、さすが一流作家、という一言に尽きる。登場人物も、各々にはっきりとした個性を持って描かれており、ドラマ化の話が持ち上がったのも頷ける作品だと感じた。

 で、月9のドラマについて。初回こそ外出しており、ビデオの予約を忘れたため見逃したが、以後、毎週、見ている。ドラマとしては大変面白い。昨今のドラマ不振の中で、高視聴率を叩き出しているのにも納得ができる。主人公・探偵ガリレオこと湯川学を演じる福山雅治氏の独特の雰囲気がいい味をだしている、と思うし、柴咲コウ氏の女刑事もはまり役だ、と思う。コミカルにテンポよく進むストーリーにも好感が持てる。
 しかし、である。主人公である探偵ガリレオこと湯川学に福山雅治氏をキャスティングしたのはともかく、少なくとも、上で感想を書いた小説内では登場すらしない女刑事役を登場させた点はいただけない。それは、ドラマを面白くなくしている、という意味では決してない。けれども、原作を読んでしまうと、月9というドラマの放送枠の持つブランドイメージを、映像化に際して無理やり持ち込んでいる印象を受ける。素材として十分に美味しい食材に要らぬスパイスを振りかけたような感じ。月9は恋愛事情を描かなければならない、という固定観念が、この小説の映像化の大きな障害となっているように感じられてならない。
 これは、まさに月9の悲劇としか言いようがない。ドラマとしては面白いだけに、評価は分かれるところだと思うが、少なくとも、これでこの小説が原作です、というのはいかがなものか、と思う。もちろん、その著者、あるいは著作権者が映像化することに了解を与えているのであろうし、それをファンがどうこう言う筋合いではないのかもしれない。また、映像化されたものの権利は別人に帰属し、そのことは、とりもなおさず、映像化されたものが新たな創作物ということを意味するのかもしれない。しかし、小説等を読んでこう解釈する、という域を超えた創作が加われば、もはやそれは、模倣や贋作、あるいはタイトルの借用に等しい、と自分などは感じたりするのである。あくまでも、ファンのぼやきであるが。
 素晴らしい小説、あるいは、漫画といったものをドラマ化、映画化すると、この種の問題は常に起こることだろう。それは、映像化するときに避けて通ることはできない壁なのだろう。しかし、映像化するときには、原作を忠実に再現するべきだという意見は、小説ファン、漫画ファンの間に根強いのではないかと思う。もちろん、各人毎に文字から、あるいは絵から作り上げる想像上の人物像を100%で映像化することなど、実はおよそ不可能である。が、だからといって勝手な付け加えや削除が行われてよいことにはなるまい。
 確かに、著作権等の諸権利の体系の中に、当事者としてファンが入り込む余地はないだろう。映像化されて文句を言うなら映像化されたものを見るな、というのも正論であるようにも思う。けれども、ファンであるが故に、映像化されると、大方はがっかりすることになるだろうと思いつつも、見てみたいと思うものではなかろうか。また、自分がこう読んだ作品を、他の人はどう読んだのか、という点を窺い知ることができる、という楽しみもある。それに応えるような仕事を、小説、漫画等の書籍の映像化に携わる方々にはお願いしたい。ある小説、ある漫画にヒントを得た、しかし、似て非なる作品、というドラマ、映画が原作「○○○○」と騙ることが多すぎるように思えてならない。
 著作権等の権利の体系には、決して当事者として登場することのない、しかし、その権利を支える無数のファンが個々に膨らませた想像を、もっと大切にして欲しい、と思う。

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