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『デッドエンドの思い出』

 久しぶりにこちらも更新です♪。

 新学期が始まりましたが、おかげさまで前期の間に卒業に必要な単位は全て取得できました。よって、後期は興味がある科目だけ出席する予定にしています。

 お勉強しなければならないなぁ、とは思いつつ、少し時間に余裕ができたので、久しぶりに小説を読んでみました。その本は、『デッドエンドの思い出』(よしもとばなな著・文春文庫)です。
 「デッドエンド」という言葉の意味は、「①行き止まり。袋小路。②物事が行きづまった状態。」ということらしいです。「袋小路」とは、「 行き止まりになっている小路。転じて、物事が行き詰まること。袋道。」なので、要するに、行き詰まった思い出というような意味合いになるわけです。
 この本自体は短編集なので、他の作品も一緒になっているわけですが、その中でも、このタイトルがつけられた作品が、すごく気に入ってしまいました。

 文章の読み手側の想像が、少し掠れたような、それでいて、輪郭だけはハッキリとした感じを抱かせる作品でした。
 最近、よく思うのですが、結構、自分は物事についての考え方が、女々しいというか、女性的というか。とかく、男の視点というものへ憧れはするけれども、現実世界で、まさに、現実に考えていることといえば、何と言うか、現実的で、つくづく嫌になります。夢を語れる男になりたい、と思うのですが、実際は、夢を現実サイズへとダウンサイジングするのがやたらと得意なわけです。それはそれで、手堅い生き方だとは思いますが、自分の限界線を自分自身で引いているせいで、本当の限界まで頑張ることができない、というかなり大きな弱点を孕んでいるのです。
 「頑張る」というのは、これはこれで1つのスキルなんだなぁ、と思います。決してイヤミでも何でもなく、能力なんてなくても、「頑張る」ことができる人ってスゴイと思います。結果を出す能力はなくても、「頑張る」という能力は、遺憾なく発揮されているわけですから、単なる結果だけでなく、そのプロセスも含めて考えてみれば、それは素晴らしいことだと思います。

 で、何故このような話を書いているかというと、この本を読んで、こういう自分自身の思いが、より強くなったからです。自分自身の本当の限界を、自分自身が知ることができたら、どんなにか素晴らしいだろう、と思うのです。そして、それに気付いていく主人公・横山ミミの姿が、どこか自分自身にオーバーラップするような気がして、本当に気持ちのいい作品でした。幸せというものは、どういう形をしているのか、あるいは、形なんてないのか、どういう風に手に入れるのか、それとも手に入れることはできないものなのか。いろんなことを考えながら、あっという間に読み終えていました。

 特に、印象に残った一節を。

 今ならわかる。最低の設定の中で、その時私は最高の幸せの中にいたんだということが。
 あの日の、あの時間を箱につめて、一生の宝物にできるくらいに。その時の設定や状況とは全く関係なく、無慈悲なくらいに無関係に、幸せというものは急に訪れる。どんな状況にあろうと、誰といようと。

 そういう感じ方が、どこか自分自身と重なったわけです。

 以上、感想でした。

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