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2007年6月

おいしいもの♪

 日曜日、阪神競馬場の帰りに京都にある「三成」という韓料理のお店に行ってきました(HPはこちらですhttp://www.kyoto-mitsunari.com/)。

 鉄板焼とモツ鍋の間のような「三成鍋」を注文。以前にテレビで見て、一度行ってみたいと思っていたお店。ネットで料金を確認したところ、少し学生が飲み食いするには高めかな?と思ったのですが、今回は社会人の彼女が一緒、ということで、挑戦することになったのです。

070624_192201_1 写真が「三成鍋」です。HPで見たのと同じですね♪。注文は2人前からでお値段3,600円となっていたので、2人前7,200円かぁ、と思っていたのですが、どうやら2人前3,600円のようです。
 見た目は赤くて辛そうなのですが、これがホルモンの甘さでそうでもありません。量的には、2人でちょっとサイドメニューをオーダーすれば満腹になるくらいですので、4人とかで行けば、もう少しいろんなメニューをオーダーできるはず。この鍋の材料は、カルビ等のお肉、ぞうすい用のご飯等、ホルモン、中華そば、うどん等々が追加できます。

 2人で飲んで、食べて、1万円まではまだまだ、という感じでした(生ビール×3杯+マッコリ酒×2杯を含んでいます。)。というわけで、満足な日曜日を過ごしたのでした♪。

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コミュニケーションについて考える

 最近は、携帯等のIT技術に支えられ、コミュニケーションを制約していた時間、場所の問題は解消されつつあります。昔なら、遠距離恋愛などは、電話か手紙のやりとりが普通でしたが、最近では、携帯のメール、チャット等、いろんな道具もあり、そして、ウィル●ムの登場等で、費用も安くなってきました。

 コミュニケーションの方法としては、電話で話す、会って話す等の会話、手紙、メール、チャット等の文章のやりとり、という2つが主流でしょう。しかし、この2つには、本質的な違いあると思いませんか?
 会話の場合、実際に相手の表情を見たり、あるいは、声色、雰囲気等々を含めた上で、相手が発した言葉の意味を考え、理解し、それに対する応答をする、というのが一般的な会話の構造だと思います。これに対して、文章のやりとりでは、相手の表情を見ることはできませんし、声色とか、雰囲気とかいった、実際に相手と向き合う形のコミュニケーションである会話にある臨場感とでも言うべきものがありません。その代わりに、文章という形あるものとして残るので、後からそれを読み返すことができ、詳細な説明等では、むしろ文章の方が便利です。
 もちろん、どちらも「言葉」を使うのですから、言葉遣いや言葉の選び方なんかは共通して相手の言わんとすることを推し量る材料になります。しかし、会話の場合は通じることも、文章のやりとりでは通じないことがままあるのも事実。逆に、文章のやりとりでは通じることが、会話では通じないことがままあるのも事実。
 何を当たり前なことを、と思われるかもしれませんが、我々は、そうしたコミュニケーションの方法の当たり前の特性を感覚的に理解し、使い分けているのではないでしょうか。例えば、電子機器の営業マンが、自社の新製品を売り込みに顧客に訪れるとき、仕様書を持たずにいくことなんて、よほどのお間抜けな営業マンでない限りないと思います。逆に、顧客を接待するときに、特に必要性もないのに筆談したり、携帯のメールでやりとりをする、というのもナンセンスだと思います。

 ブログの記事の作成は、文章のやりとりに類似します。だから、自分は、こうしてブログの記事を書くとき、主語、述語がちゃんと書かれているか、書かなくて充分に読め取れるか、ということを考えながらキーボードを叩きます。会話では、主語、あるいは述語を省略しても、何となく雰囲気でわかったりしますし、すぐに相手に尋ねることもできるのですが、文章だと、そういうわけにいかないからです。誤字脱字にも気をつけています。思わぬ誤字脱字で文章の意味それ自体が変わってしまうことがあるからです。しかし、いずれも注意力に限界があり、時間的制約もあることから、常に完璧というわけにはいきませんが。

 ところで、昨今、コミュニケーションのテクニックについて、さまざまな情報が世間に氾濫しています。で、こういうコミュニケーションの仕方をしたいのにできない、と嘆いている輩がいたりします。しかし、コミュニケーションのテクニックを使うことが目的なら、そのコミュニケーションって何でしょうか?そういう輩に限って、このコミュニケーションのテクニックを使うことによってお互いを高め合う、などというキレイごとを言ったりするのですが、そういう結果のためにコミュニケーションがあるんでしょうか?コミュニケーションは、相手を理解し、あるいは自分を理解してもらう、という点に主眼があるのであって、一定の方法論に則ったコミュニケーションをすること自体が目的ではないはずですし、コミュニケーションの結果、自分にとってプラスだなぁと思えば続けるし、マイナスだなぁと思えば続けないだけの話で、相手にとってプラスかマイナスかなんていうのは、余計なお世話だと思いませんか?自分にとってプラスか否かは自分で決めます、と言いたいわけです。
 例えば、ある人が、手紙の文字を英語にすると英語力が上がる、と考えて、友人に対して英語の手紙を出しました。その友人が日本語で返事を書いてきたので、ある人は「英語で返事を書いてくれないもんなぁ」、と嘆きました。(例が英語なのは、自分が英語、苦手だからですね、きっと(笑)。)
 英語で返事を書かなかったのは友人の方ですが、何故、友人は英語で返事を書かなければならないのでしょう。むしろ、我が国において、非常用言語である英語で友人に対して手紙を書いた者こそが、英語で返事が書かれなかったことの原因を生み出しているのです。返事を英語で書いて欲しいのであれば、そういうコンセンサスを得て行うべきで、いきなり英語の手紙を送りつけておいて、返事が日本語だったから文句を言うというのは筋違いも甚だしいと言わざるを得ません。
 この場合、「英語力を上げる」という目的は大層立派なものかもしれませんが、相手はその必要性を感じていないかもしれないし、あるいは、既に英語力が充分にあるかもしれません。そして、ある人との関係の希薄さから、そういうことに付き合いたくないと思っているかもしれませんし、忙しくて相手をしている暇がないと思っているかもしれません。そういう諸般の相手方の事情を踏まえ、コンセンサスを得られないならば、英語で手紙を送るということをすることは、有害ですらあります。英語は苦手だけれど、英語力のアップに必要性を感じておらず、ある人との関係から、そういうことにお付き合いする必要がない、と考えている人にとってみれば、突然、英語の手紙が送られてくると、読まずに捨てるわけにもいかず、読んでしまう、そして、そのために時間を浪費する、ということが起こってしまうのです。読まなければいい、とこういうことをする輩は言いそうなんですが、読まなければいいのではく、読ませなければいいのです。
 こういうことを理解しない人とのコミュニケーションは、精神が疲弊しますし、意味不明な言葉を投げかけられたりし、そして、その言葉の意味を調べたり、考えたりすると、時間がどんどん過ぎてしまうのです。そして、最大の問題は、そういう輩は、自分の正しいと思っていることが、常に相手にとっても正しいと思い込んでいることなんです。自分にとって正しいことが、相手にとっても正しいわけではない、ということに気付いてもらいたい、と思います。そして、そういう哀れな輩が、自分が正しいと思っていることを共有できる相手に出会えることを、祈っています。

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東京タワーがテレビに映ると…

 もう、東京でサラリーマンしていたのが2年半近く前になりました。
 今日、テレビを点けると、夜の東京タワーをバックにUAが歌っていました。もう、あんまり東京でのことを思い出してばかりいた頃は過ぎ、時々、こうして何かのきっかけで、いろんなことが溢れ出してくるんです。
 東京タワーは、会社を辞めることになって、最後に仲のよかった同僚さんたちと行ったのを思い出すスポットですね。関東で生活していたはずなのに、関東の名所といわれるところにはほとんど出かけた記憶がありません。最初の東京観光は、実は退職して大阪に帰る前に連れていってもらった東京タワーなのかもしれません。

 いろんなことがあった3年間でした。生まれて初めての関東圏での生活。でも、関西人にしては珍しく、関東に嫌悪感も対抗意識もありません。むしろ、もう一度、東京で仕事がしたい、と思ってたりします。唯一、向こうで生活してて、「関東はなぁ…」と思ったことは、お金を出さないと、なかなか美味しいものを食べられなかったことくらいでしょうか。
 生まれも育ちも関西人ですが、巨人ファンですし、うどんよりそばが好きです。そういう意味では、もともと関東への適合性は高かったのかもしれませんね。

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マックにて…

 関西人ならマクドやろー、とお叱りを受けそうですが、いつからかマックになってしまいました。
 で、今日は、マックにてお勉強です。レジで不思議な学生が2人。
「クーポンの30番ください」
お店の人、
「クーポンは…?」
学生2人、
「家に忘れました」
 小学生の夏休みの宿題やないんやから…(笑)。
お店の人、
「クーポンがないとクーポン価格でご注文いただけないんです」
 ただ、最近は携帯クーポンもあって、あんなの、誰がアクセスして、どこのお店で使ったかなんてわからへんし、実は全てをクーポン価格で販売すればいいんでないかい?とか考えると、実は不思議な学生2人の方がまともなことを言ってるような気がしたりもします。でも、クーポン価格は、薄利多売で稼ぐことが前提。そして、得した感を消費者に与えることも重要。とすれば、全部クーポン価格にしてしまうと、集客力が落ちる、という気もします。
 まぁ、件の学生2人は、そんなことを考えることもなく、他の店はクーポン番号を言えば、クーポンがなくても買えたと言い続けてましたとさ。

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阿部サダヲさんの魅力

 今日は、先週の土曜日の試験も終わり(結果はともかくとして(笑)。)、少しのんびり夕食を摂りながらテレビを鑑賞。野球のため、名探偵コナンがないので、東京フレンドパークを見ています。

 今日のゲストは、阿部サダヲさんと濱田マリさん。
 実は、阿部サダヲさんが大好きです♪。ドラマ等では、主役ではないですが、目立たぬところでいい味を出しておられます。
 役者さんだなぁ、と思うのは、役柄によって顔、雰囲気等が激変されるところでしょうか。昨年の今頃、医龍というドラマでは、狂った麻酔医役で出演されていました。ドラマの前半部分と後半部分で、明らかに顔、雰囲気等が変わってしまいます。スゴイですね。
 当のご本人は、明るく謙虚な方のようですが、ドラマでは粘着質な役柄が多い気もします。そういうお仕事を支えているのが、そういう演技の幅なんですね。難しいことはわかりませんが、天性の役者さん、という感じがします。何かに1つ秀でることは、とても素晴らしいことですね。そういう方を尊敬して止まないのでした。
 自分も、何か1つ、そういうものを手に入れたいと思います。別に他人様がどう評価しようがどうでもいいですが、自分自身が納得できる何かを。まだまだ人生、道半ば。早く見つけなきゃですね。

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青葉城恋唄♪

サラリーマン時代、休みの日にドライブしながらよく聞きました。柔らかで伸びのある歌声、切ないメロディと歌詞。この曲を聞くと、何となく懐かしさが込み上げてきます。
そういえば、東北出身の上司が、カラオケで熱唱されていたのを思い出します。
青春などという陳腐な一言で、自分自身の若かりし日(今でも充分若いんですが(笑)。)の全てを語ろうとするおじさんにはなるまいと、心に誓って生きてきたはずなのに、気付けばそんなおじさんになっていて、過ぎ去りし時間への憧憬と、来たるべき時間への不安に包まれる昨今、こういう懐かしい曲は、もう一度頑張ろうって思わせてくれます。まだまだ、これからです。

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当たりました!!

 今日、自分の家の前の自販機でコーラを買ったら、ピロローンって音がして、何と、ジュースが当たりました。人生において初体験です。何かいいことがあるかもしれない、と思うのでした。
 で、当たった分でメロンソーダを買ってから思ったことが1つ。アイスコーヒーにすればよかった…。

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生き方

 今まで、テレビを見ていました。テレビ朝日の「テレサ・テン物語~私の家は山の向こう~愛人、つぐない、時の流れ…日本中が涙した伝説の歌姫!家族愛・婚約破棄・謎の死…今初めて明かされる真実の生涯!!感動の実話」です。

 何というか、激しい生き方だなぁ、と思います。好きな歌手は、皆さん、激しい生き方をしておられます。尾崎豊しかり、美空ひばりしかり、テレサ・テンしかり。アーティストは、普通には生きられないからアーティストなんでしょうね、などと、勝手に理解しています。
 今、大学院で法律を学んでいますが、公法系の科目は苦手です。まさに平和ボケというか、権力というのが今ひとつピンと来ない。だから、ともすれば権力に対して緩やかな解釈を採りがちです。でも、翻って人類の歴史を眺めてみれば、少なくとも欧米では、一般人の歴史は権力との戦いだったんですね。日本の歴史を見ると、そういうのがないからお上に逆らわないという国民性が生み出されているのかなぁ、と思ったりもします。

 そんなことはさておき、とりあえず、テレサ・テンの生き方に感動したわけですが、このドラマの原作者は有田芳生氏なんですね。オウム真理教以外にもいろんなことしてるんですね。テレビでくだらないコメントを吐いてるよりも、こういう本をいっぱい書かれた方が、世のため、人のためにはなるのになぁ、と思ったりもします(個人的に有田芳生氏のワイドショーでのコメント等が嫌いなんです。)。

 人は、何のために生きているかなんて、このご時勢に真面目な顔をして言えば、若者にはバカにされるのが目に見えてしまうのですが、本当は、皆、一生懸命考えているんだ、と信じたいです。

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